緑道を散歩しているとラブやゴールデンによく会う。ゴールデンはほとんどエフよりも随分年上の場合が多い。大分顔見知りも増えてきたが、昨日はじめて会った7歳のゴールデンを連れた女性がエフを撫でながらこう言った。「ゴールデンはこれからどんどんよくなるわよ。どんな悲しいことがあっても慰めてくれるの。言葉も気持ちもわかるようになるの。穏やかでやさしい犬なの、ほんとに。」
たしかに女性が連れているゴールデンはそれはそれは美しく優しい顔をしてそっと佇んでいた。エフは道路にひっくり返って嬉しくてクネクネしていた。「そうですかー、楽しみですー。」と言ってエフを起き上がらせて行こうとしたら、興奮してまた私の顔まで届くジャンプを見せて笑われた。
それからしばらく歩くと、ミニチュアシュナウザーを連れた女性に遭遇。シュナウザーは「ウ、ウ」と言いながらエフに近づきたい様子。エフは相変わらず地を這うような体勢でしっぽを振りながら近づいて行く。「うちにも去年までゴールデンがいたんです。ガンで亡くなったんですが。」と言いながら、「やっぱりいいですねー。この感じがなつかしいです。」とそれはそれはいとおしそうに目に涙を浮かべてエフを撫でていた。一緒にいたシュナウザーもなつかしそうにエフに擦り寄っていた。
苦楽を共に長い道のりを一緒に歩んできて、いつしかかけがえのない存在になっていったのだろうな、と思う。それはゴールデンでもラブでも柴でもスピッツでも猫でも同じことだろう。
もう一つ、出会いがあれば必ず別れがある。いつも頭の片隅にある。それを意識させられる。

昨年の5月15日にエフは我が家にやって来た。丁度一年が経過した。犬を家に迎えようとした理由の一つは、私が母を亡くして沈んでいたから。ゴールデンを選んだのは優しい性格と顔が好きだったから。何より一緒に「暮らす」ことを望んだから。エフが来て、はじめの数ヶ月は毎日朝から晩まで振り回されて沈んでるヒマもなくなった。もうイヤ、と思ったりもした。一年経って少しづつ気持ちも通じるようになってきたかな、と思うこの頃。エフがいてくれて嬉しい今日この頃。
生きていると色んなことがある。苦しくて時々楽しい道のりを一緒に歩いていけたらいいな、と思う。

「これからエフもっともっとよくなるんだって。」と緑道での話を食事中夫にしていたら、相手にしてもらえないエフは禁止されているソファの上に飛び乗り、これでもか、という顔でこっちを見る。2人で必死で無視。まったく・・・、まだまだ遠い道のりだ・・。