あれから3年経ちました。

3年前の11月5日、私の母は逝ってしまいました。

交替で付き添っていた父と叔母と私がたまたま揃った昼下がりの病室でした。


いっちゃダメ!お姉ちゃん、お姉ちゃん!と泣き叫ぶ叔母、
一言も声が出ず、ただ立ちつくす私、
そして、
よくがんばった、よくがんばったなぁ…と、静かに繰り返し泣きながら母の肩を抱く父、
お世話になった看護師さんたちも泣いていました。


前日の夜、主治医から「年内もつかどうかわかりません」と告げられました。
今後加速度的に衰えていくであろう体の機能について説明を受け
母がこれ以上苦しいのはヤダな、私のこともわからなくなってしまうのはヤダな、
もっと痩せてしまうのはヤダな、と思いました。

実はその日の午前中、私は病室の外の廊下で倒れました。
叔母と話している最中でした。
体が硬直して手足の震えが止まらず呼吸が苦しくて意識が朦朧としました。
看護師さんや先生が駆けつけて簡易ベッドに寝かされました。
父が私の手をずっとさすっていたのを覚えています。
お母さんが心配するといけないと、眠っていた母にはわからないように静かに手当てを受けました。
このまま死んでしまえば母とずっと一緒にいられるかもなあ、なんてぼんやり思っていました。

多くの母と娘がそうであるように、私と母の間にも、強くて深い絆がありました。
二人にしかわからない特別な空気がありました。
お互い一番の理解者であり味方であり、誰よりも信頼していました。
いくつになっても甘えてました。大好きでした。
母を失うなんて、私にとってこれほど怖いことは他にありません。
できることならどこまでもどこまでも逃げまわりたい…、本当に怖くて怖くて仕方がありませんでした。


数時間寝て回復しました。
倒れるのはその一年半前に兄から母の検査結果を聞いたとき以来でした。

悲しくて苦しくて寂しくて怖くて泣き叫んでも、
やっぱり私はこの世界で生きていくしかありませんでした。


そして翌日、母はスーッと旅立ってしまいました。

先生が言いました、
「お母さんは娘さんにこれ以上心配かけるわけにはいかないと思ったのかもしれませんね」と。
私が倒れたこと、母にはわかっていたのかもしれません。
いつもいつも「ごめんね」「ありがとう」とそばにいる私に繰り返し言っていた優しい母らしい最期でした。


亡くなった母に叔母と二人でお化粧をしました。
肌にハリがあってとても滑らかでした。
栗色の髪もツヤツヤしていました。
ピカピカに輝いて見えました。
美しい母のままでした。



亡くなる二週間ほど前、
夜の病室で二人きり、母の足や手をマッサージしながら他愛のない話をしていた私に、
突然母は言いました。

「もう一度、あなたとお兄ちゃんのお母さんとして生まれてくるからね。」


母の前では絶対泣かないでいた私ですが
このときはあふれる涙をおさえられませんでした。
ヒックヒクとしゃくりあげ、ベッドに顔をうずめていつまでも泣いてしまいました。

翌朝、泣きはらして腫れ上がった私の顔を見て
「赤ちゃんのときとおんなじ顔してる。」と笑って母が言いました。



あれから3年経ちました。

ようやく最近、元気な頃の母が夢に出てくるようになりました。
ずっと、看病していた頃の母ばかり夢に出てきていました。
調子悪いんじゃないか、どこか痛いんじゃないかと
心配で不安で目が覚めることばかりでした。
最近の母はコロコロと元気に笑っています。

昨日話した叔母も同じことを言っていました。


どうしてるかな。
会いたいな。



泣くと今でもこの顔なのか…。

必ずまたこの二人のお母さんとして生まれてきてよ。