最近、自分の幼少期を思い出して詩を書いたりする機会があったのですが(遊びですよ)、やり出したら止まらず、外でごはん食べながらもあーでもないこーでもないとef夫とやりあい、ふざけた感じで書き始めたのに、だんだん壮大なテーマになり収集つかなくなったわけであります。
そんな中、話題に出たことの一つは、「鈍い方がいい」「鈍感力のすすめ」みたいな昨今の風潮はどうなのか?ということで。
例えば安倍総理の辞任劇、それはそれはお粗末なのだけれど、だからといって真面目でデリケートないい人は打たれ弱くてダメだ、もっと鈍感な人でないと、というのがどうにも納得できず。
打たれ弱さを強調してそういう捉え方をするのはわかるけど、知性も教養もあり、生真面目で人の心の機微のわかるセンシティブな性質を否定するのはおかしいです。打たれ弱くたって人としてはすばらしいと思うのです。細かいことは無視して突き進む人が政治家には合っているのかもしれないけれど、思いやりがあり思慮深く優しく、損得考えず一生懸命頑張る性質って否定されるべきではないと思います。
と、打たれ弱い酔っ払いが熱く語ったわけであります。
私の嫌いな大仁田厚が「安倍さんは苦労を知らない坊ちゃん政治家。人の痛みを知らないと(首相は)出来ない」なんて批判してるの聞いてますますムカムカしたのでありました。