「富士宮市と聞いて、すぐにエフの大事なお父さんのことが浮かんで、、、」
そんなコメントやメールをいくつもいただき、
なんだか訳もわからず涙があふれてしまいました。
情けないです。こんなことで。
ご心配頂き、本当に有り難うございました。
大騒ぎしてすいません。

東日本大地震の余震が続く中での静岡での大きな地震でしたので、
ついに東海地震まで誘発されてしまったのかと慌てました。うろたえました。

地震翌日の父は、倒れた庭の灯篭を直したり落ちてきた周辺家屋の瓦を片付けたり
お墓へ行ったりあちこちの片付けに追われていたようです。
叔母や叔父とも連絡がとれ皆お皿が割れた位で無事でした。
市内は電柱が倒れたり建物の壁が崩れたり天井が落ちたりしているようですが、
震度6強という大地震にしては被害は少ないようです。


東京でもずっと余震が続いています。
風もかなり強く常に揺れているような感覚になってしまっています。


3/11に発生した東日本大地震、
地震と津波の恐ろしさに言葉を失いました。
自然の猛威にただ呆然とするばかりです。被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
悲しみをこらえ感情を抑え必死に助け合い頑張っている被災地の皆さんの姿を見るたび、
胸がしめつけられます。
大声で泣きたいだろうに声もあげず静かに流れる涙を拭う姿にたまらない気持ちになります。
一日も早い復興をただただ願うばかりです。
テレビを見て泣いている場合ではないです。



あの日私は家の2階にエフと一緒にいました。東京は震度5強でした。
体験したことのない大きくて長い揺れで家が激しくガタガタと音を立てました。
壁にかけてある額がガタガタと傾きました。
エフは立ち上がって天井を見ていました。
テレビが前に倒れそうになり手で支えました。
3階の2部屋の引き戸がそれぞれバタンと閉まり、エフが吠えました。
近くの高校のグラウンドで部活をしていた女子生徒たちの「キャー!」という悲鳴が聞こえてきました。
ずっとゆらゆらと揺れていて、家の中にいるのが怖くてエフを連れて外に出ました。
いつもの緑道まで歩いていくと、また強い揺れがあり、道がぐらぐらと波打つようでした。
どこかの家から地震に驚いて外へ飛び出してしまったであろうシェルティが大人3人に捕獲されなだめられていました。ピーピー泣いていましたが「大丈夫だよ」と声をかけられ抱きしめられていました。



しばらくしてから家に戻りました。

倒れていたのは写真立てや窓際に置いてあった芳香剤など、本棚から文庫本が何冊か落ちた程度でした。


ef夫とはFaceTimeで連絡がとれ、顔を見ることもできたのでホッとしました。携帯もメールもつながらない中、初めてiPhoneのFaceTimeが役立ちました。
地震発生の瞬間、ef夫は会社のビルの6階から下りのエレベーターにまさに乗ったところだったそうで、ガクンッと激しく揺れて驚き、すぐに5階で下りたそうです。窓の外を見ると向かいのビルの脇の路上から水道管が破裂したように水が吹き出していたそうです。
あの日の夜は電車が全て止まり帰宅難民や何時間もかけて徒歩で帰るしかない人の波が歩道を埋め尽くし都内は大混乱でした。幸いef夫はいつも通りに40分程歩いて帰宅しましたが、多くの人が冷たい風吹きすさぶ中、都心から延々と続く人の列に揉まれ3時間4時間と家を目指して黙々と歩き続ける、もしくは帰宅できずどこかでじっと朝を待つ、そんな大変な異様な夜でした。

そしてテレビで東北地方の凄まじいまでの惨状を知りました。

あれから6日経ち、都心ではようやく電車が動きはじめ(それでも運休や運転縮小が多数ですが)通勤や帰宅時のどうしようもない混乱が少し落ち着きはじめてはいます。でも食料品や生活用品の不要な買いだめによりお店の棚から商品はあっという間に消えガソリンもすぐに売り切れです。不確かな情報や噂にあふれ、異常なパニック状態は続いています。電力不足による停電が各地で実施され企業も商店もなかなか稼働できず、経済が止まってしまうことがとても心配です。


地震と津波で被災された方々、さらに原発で避難を余儀なくされている方々、報道でその現状を知る度、胸が痛みます。寒さが心配でなりません。一日も早く生活を取り戻せますよう。
そして原発の問題に取り組んでいる方々の安全とミッションの成功を祈ります。



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