リンマンブルース ゴールデンレトリバーの生態とマンガ

ゴールデンレトリバーのエフとコメと保護猫のウメ、そして私とef夫の日常を写真とマンガでつづります。

2009年07月

ef夫は会社に復帰し、エフは湿疹で病院行ったり爪切ったり、私は半年ぶりに美容院に行っておかっぱ頭にしたり、エフ家通常営業に戻りました。ef夫の左足にはまだまだ違和感があり速くは歩けないし体力も筋力も落ちているのでいつもの10倍位疲れやすくなってますが、なんとか ... 続きを読む
ef夫は会社に復帰し、エフは湿疹で病院行ったり爪切ったり、私は半年ぶりに美容院に行っておかっぱ頭にしたり、エフ家通常営業に戻りました。

ef夫の左足にはまだまだ違和感があり速くは歩けないし体力も筋力も落ちているのでいつもの10倍位疲れやすくなってますが、なんとか気持ちは元気にやっています。

朝から30℃超えの連日、スーツ着て歩くのは大変。
シャツの上から巻いたコルセットがカマーバンドに見えなくもない。


ところで、
エフの鼻がついにピンク色になってきました。
ずっと黒々していて若々しかったのにねー。

心労か?
私も白髪が増えたし。


久しぶりにごはんの記録。
ピーマンとトマトが美味しくてそればっか。



エフにもトマト&ピーマン。鮭と牛ハツのトマト煮。
ピーマン人参ペースト&ヨーグルトon馬肉。


牛肉のたたき&キャベツの千切り。エフはやっぱり生より火を通した方が好きなのよね。
痒いのに効果あればと思いシソ粉末を混ぜてみている。が、あいかわらず痒いみたい…。



兄土産の「桜えび塩」が美味しい。何に振ってもいける。
豚バラ軟骨を圧力鍋で煮たの。お酢を効かせてさっぱり柔らか。


ef夫好物の春雨とキュウリとハムのタイ風サラダ。
小アジとピーマン、茄子の南蛮漬け。レモン&酢多め。どれもこれも酸っぱい系。


毎夜こそこそと自転車をいじっている黒いタンクトップの男、坂本一生(新加勢大周)かと思った。

前傾姿勢にならなくても乗れるように
ハンドル変えたりサドル変えたり。
色んなパーツが届く。
楽しそうに調整中。
私の自転車のサドルまで変えていた。
秋になったらお出かけしよう。


昨日抜糸をしました。切開痕は10㎝ほど。ホチキスのような針を7カ所プチプチと切って抜いて終了です。お風呂に入れるのはまだ4,5日あと。(シャワーは可)術後の経過は順調で早期に退院できたといっても、圧迫されていた神経と衰えた筋力が快復するには数ヶ月の時間がかかる ... 続きを読む
昨日抜糸をしました。切開痕は10㎝ほど。ホチキスのような針を7カ所プチプチと切って抜いて終了です。お風呂に入れるのはまだ4,5日あと。(シャワーは可)
術後の経過は順調で早期に退院できたといっても、圧迫されていた神経と衰えた筋力が快復するには数ヶ月の時間がかかるようで、家に帰ってきてからも調子が良かったり悪かったり、喜んだり落ち込んだりを繰り返して過ごしています。

今まで当たり前にできていたことがうまくできない、思うように足が動かないというのは本人にしてみれば相当悔しいことで。元々運動神経が良いだけに余計もどかしい。足腰丈夫な私には痛みもわからず容易に想像つかなくて、黙々とリハビリする姿を見ているしかできないけれど。
でも大丈夫。
時間がかかってもきっとまた野球でもゴルフでも何でもできるようになるよ。なにせ、ニコニコ笑ってえっぷーが守っているから。

調子が悪くて横になると、足元をがっちりガードするエフ。
ほんとーにきみは天使のようだな〜。


さて、そんな献身的なエフに、連休初日思わぬご褒美が。



えええーまじですかー!?

これは夢ですかーー!?



父!!


さらに兄!!!


大好きな人がキターッ!
エフ、嬉しくて嬉しくて。

富士からお見舞いに来てくれた2人と
ささやかに退院祝い。

傷口を見せるef夫と
それをまじまじと見る父と兄。

お尻まで見えていたけれど
真剣なお三方。

面白い光景でした。


ふたりの真ん中で終始満足そうなエフ。
よかったね〜。

エフのお見舞いに来た訳じゃないんだけどね。
ありがとう。

そして、
エフのお散歩に出掛けたら
後ろからゆっくりとついてきたef夫。

ちょっとだけリードを持たせてあげました。

エフ、いつもぐいぐいひっぱるのに(みんな一緒だと特に)
ef夫の顔を見ながらゆっくり歩いて。えらい。

これは、エフがef夫のお散歩をしてあげてる図ですね。


3歩進んで2歩下がる。
焦らずゆっくり、がんばれー。


退院しました!無事家に帰ってきました。3週間ぶりにエフとご対面です。びっくりして嬉しくてどうしていいかわからずちょっと控えめに抱きつくエフ。 ずっとべったりくっついてました。しばらく自宅療養です。嬉しいね〜エフ。注意事項は重たいものを持たないこと、後は痛み ... 続きを読む

退院しました!
無事家に帰ってきました。
3週間ぶりにエフとご対面です。

びっくりして嬉しくて
どうしていいかわからず
ちょっと控えめに抱きつくエフ。


ずっとべったりくっついてました。





しばらく自宅療養です。
嬉しいね〜エフ。

注意事項は重たいものを持たないこと、
後は痛みと相談しながら積極的に動くようにと先生からのお達し。
家の階段でエフと一緒にリハビリしてます。
まだまだよちよち歩きで今までの5分の1位の速さでしか進めませんが
ゆっくりと一歩づつ歩ける幸せを噛みしめているようです。

あーやっと帰ってくることができました。よかった。長かった。
温かい応援をたくさん本当にありがとうございました!


そして、さきほど、
寝室を覗いてみたら、、、



なにやらとても幸せそうで。

よかったね〜。


7月11日(土) 入院以来初めて朝までぐっすり眠れたそう。トイレもゆっくり歩いて行ける。幸せ。まだまだあちこちに痛みは残っているがこれまでに比べたら夢のよう。でも無理はせず少しずつ上体を起こす時間を長くしていく。午後には車いすで初めて1階の本屋まで行った。久 ... 続きを読む
7月11日(土) 入院以来初めて朝までぐっすり眠れたそう。
トイレもゆっくり歩いて行ける。幸せ。まだまだあちこちに痛みは残っているがこれまでに比べたら夢のよう。でも無理はせず少しずつ上体を起こす時間を長くしていく。
午後には車いすで初めて1階の本屋まで行った。久しぶりの下界の刺激にクラクラしたよう。
Yさん夫妻と娘のKちゃんそしてシュウくんがお見舞いに来てくれた。
かわいいKちゃん(4歳)に腰をさすってもらえた。よかったね。


夕飯もこの角度まで大丈夫になった。
もう完全に自分1人で食べられる。
初めての完食。よし。


帰りはエレベーターまで見送ってくれた。
すごい進歩。

7月12日(日) 久しぶりに病院へ行かない朝。
荒れ果てた家を大掃除&洗濯。
エフのごはんをたくさん作ったり。


午後はオカリンマンがやってきた。
お土産はタイヤのカタログ。
よくおわかりで。



もう2週間以上エフに会えなくて寂しいef夫のために
昨夜寝るとき動画を撮ってあげた。



余計寂しくなったかな。

術後の経過は順調です。日ごと回復しています。
退院目指して黙々と一生懸命リハビリしてます。がんばれ。もう少しだ。


7月7日(火)MRI検査。夕方結果について担当医よりお話がある。やはり第3腰椎と第4腰椎の間の椎間板が大きく飛び出ている。さらに飛び出たものが下方向に向かって垂れたような状態になっている。広い範囲で神経を圧迫している。これが左足の激しい痛みと機能低下の原因であ ... 続きを読む
7月7日(火)MRI検査。夕方結果について担当医よりお話がある。

やはり第3腰椎と第4腰椎の間の椎間板が大きく飛び出ている。
さらに飛び出たものが下方向に向かって垂れたような状態になっている。広い範囲で神経を圧迫している。これが左足の激しい痛みと機能低下の原因であろうと。
画像を見るとよくわかる。

治療法としては神経根ブロック等の保存療法かあるいは手術だと。
手術の場合、背中を切るのが3度目になるので以前の手術による筋肉や骨の癒着があり神経に触れずに飛び出たものを上手に取り去るのは簡単ではない、前回よりもリスクは上がり痛みも残るかもしれないと。

ef夫は最初からずっと手術を望んでおり迷わず手術を選択。
リスクのある手術に私は躊躇、でもこんなに長く寝たままなのに痛みが引かないのはやっぱり切らなければ無理なんだろうと思い、覚悟を決めた。

というわけで9日(木)に手術することに決まる。

今回の痛みは長く大きくこれまでと質も違って、ヘルニアだけではなく何か他の病気があるのでは?と疑っていたこともあり検査結果を聞いて少しほっとした。大きなヘルニアで3度目の手術は怖いけれど、とにかく一歩踏み出せたことに希望がわいてきた。

7月8日(水) 看護師から「ヒゲを剃ってください」と言われ、そんなに汚らしいかなと思っていたら手術時にする酸素マスクや管等を留めるのにヒゲがあるとうまく留らないからだそう。なるほど。
車イスに乗り初めて洗面所へ。伸びたヒゲを剃る。座った状態でも3分位経つと足が痛み始めるため急いで剃る。うまく剃れず不本意な様子。ヒゲ剃りだけで汗びっしょり。

手術のため準備色々。CTを撮り、採血。リハビリ科による術前機能検査。麻酔医からの説明。執刀医からの手術内容、リスク、輸血等に関する重要事項説明、同意書にサイン。
明日のスケジュールと必要なものを伝えられる。和式の寝間着、バスタオル2枚、おむつ、弾性ストッキング。
ストッキングは3年前に使ったものが家にあったので買わずに済んだ。寝間着は病院の売店で売り切れで、夜急いでライフに買いにいった。


7月9日(木)6:00 浣腸。
7:00 点滴が始まる。

義母、義姉、姪からのファックスを読む。ずっといつも助けてくれてありがとう。
ちょうど個展期間中の忙しい中何度も電話をくれ心配していた父(見に行けなくてごめん)、お兄ちゃんもありがとう。Yさん、Kさん、SくんIくんKちゃん、Fさん、Sさん、kurakura、グーママ、オカリンマン、Hちゃん、Kちゃん、シュウくん、会社の皆様、ご無沙汰だった友人たちなどなど、たくさんの励ましをありがとう。そしてブログで応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。エフオット、いってきます。お義父さん、お母さん、ご先祖さま、どうか守ってください。


8:00 手術着に着替え弾性ストッキングを履く。

すごく緊張していたのに、この姿がバレリーナみたいで笑ってしまった。

担当医(執刀医)がやってきて「がんばりましょうね。」とにっこり。
はい、よろしくおねがいします。

8:40 ストレッチャーに乗りエレベーターで4階へ。
私は家族控え室へ。ef夫は手術室へ運ばれて行った。
手術は9:00に開始、予定では2時間程で終了すると言われていた。

控え室でじっと待つ、待つ、待つ。うううう、この時間は本当にイヤだ。何度も深呼吸。

11:40 先生に呼ばれる。小走りで部屋を出ると手術室からef夫が運ばれて出てきたところ。
「無事終わりました。」と担当医がにっこり。あああーよかったーーーーーーーー。
「奥さんですよ。」と麻酔から醒めたばかりのef夫に先生が呼びかける。
目が合った。おお、無事だ。よかった。
一緒にエレベーターに乗る。酸素マスクの下からかすれた声で「なにか取れました?」とef夫が静寂を破り声を発する。「結構なのがとれましたよ。」とポケットからおもむろに摘出した白い物体の入ったカップを取り出す先生。うわ、ほんとだ。大きい。前回のより大きい。
「これが神経と骨の間に入り込んでいました。相当な痛みだったと思います。」と。こいつだったのか。


部屋に戻る。足の血栓予防のエアチューブ、酸素等諸々取り付けられる。背中が痛いef夫は体勢を変えたくて苦悶の表情。30分おきに血圧、脈、体温を測定。傷の痛みがあり座薬を入れる。
先生がやってくる。足の様子を診る。動く動く。あーよかった!
そしてずっと存在していた膝下の痛みがほとんどなくなったようだと。おおおお!ほんとーですか。嬉しい!泣けるー。

15:00 初めてのお水を飲む。
少し落ち着き、Yさんが送ってくれた水滸伝(全6巻)を読み始める。元気だ。よかった。
一旦帰宅した私にef夫からメールが。なにごとかと思ったら「メジャーを持って来てくれ。」と。なに?

18:00 酸素マスクがとれる。
早速摘出された物の大きさを測る。
そのためにメジャーが必要だったのか…。
この日は1日絶食。水分と抗生剤の点滴。
傷から出ている管と尿道から出ている管と点滴の管と足のエアチューブで身動きができず背中が重く、朝まで一睡もできなかったそう。水滸伝読み終えたそう。

7月10日(金)7:00 尿道の管が外される。
朝ごはんは普通食。頭をここまであげて自分で食べる。5分経っても足が痛くならない!すごい!

8:30 先生がやってきて背中の傷を診つつ血をとっていた管を抜く。足を診る。
明らかな痛みの軽減。ほとんど感覚がなかった左足の甲も感覚が少し戻ってきたよう。
今日から積極的に動いていいと。

ベッド横に立ってみる。怖々と慎重に。まだふらふらするが数分経ってもスネの引き攣るような破裂するような痛みが襲ってこない。夢のよう。
ef夫、およそ一ヶ月ぶりの安堵の笑み。その姿にじーん。。。

午後 リハビリの先生に支えられ廊下を歩く。術前に比べて明らかに足の動きが改善されたと。いいんじゃないかと。50m程歩いただけでもうフッラフラでしたが。
2週間も寝たきりだったので、足の筋力と体力の衰えは著しいよう。特に左足の筋肉はぷにょぷにょになってしまったそう。これからゆっくりとリハビリです。


心配し応援してくれた皆々様、本当に本当にありがとうございました。
やっと、やっと光が見えてきました。
ああ、いつぶりだろう、久しぶりにぐっすり眠れそうです。


ベッドの角度をこのくらいまで上げられるようになった。7月4日(土)1週間ぶりに自力でごはんをちょっとだけ食べた。が、5分もすると左足が痛くなってくるのでまだまだ介助が必要。クチに食べ物を運んでもらうヒナ鳥でまだまだ我慢。痛い場所をはっきりと示すのが難しいため ... 続きを読む

ベッドの角度をこのくらいまで上げられるようになった。
7月4日(土)1週間ぶりに自力でごはんをちょっとだけ食べた。
が、5分もすると左足が痛くなってくるのでまだまだ介助が必要。
クチに食べ物を運んでもらうヒナ鳥でまだまだ我慢。

痛い場所をはっきりと示すのが難しいため
痛むたびメモをするef夫。
この動作をするとここがこう痛むと。図に書いておく。


なるほど。



日々痛む場所も微妙に変化しているらしい。



昨日はルボランと自転車雑誌を買っていってあげた。大喜び。
今の俺には両方とも夢のまた夢だ…とため息つきつつ眺める。
そのうちまた乗れるようになるよ。

私が一旦帰宅している間に友人Yさんが3兄妹が作った七夕飾りとかわいらしい絵を持ってきてくれた。
「早くお兄ちゃんの腰がよくなりますように。」と短冊が。
いつもいつもありがとう。

友人Fさんからは「バッテリー」が。

そういえば結婚してから一度も夏休みをとったことがないef夫。この機にゆっくり休んでくれと。(こんなことで夏休みを使いたくなかったケド。。。)
仕事関係の皆様、ご迷惑をお掛けしています。申し訳ありません。

その向こうに横たわる髭男。
だいぶ伸びました。白髪も増えました。

各方面からご心配とお見舞いを頂いています。ef夫幸せ者です。
そしてエフ家に沢山のお見舞いコメントありがとうございます。

さて、


ずっとこんなだったエフですが、

朝昼晩と病院と家を行ったり来たりしている生活ペースにもだいぶ慣れてきたかな。出掛けるたびにいちいちうろたえなくなった。平常心。夜帰宅した時だけ玄関までやってきてとても嬉しそうに出迎える。(それ以外は3階でぐーすか寝ていてなかなか下りてこない。どーせまたすぐ行くんでしょという感じ。)

でも散歩に出るといつものコースを歩きながらef夫を捜しているよう。
似たような背格好の男性が前方からやってきたりすると立ち止まってじっと見て尻尾を振り出し、近づいてきて違うとわかるとゆっくりと尻尾の動きが止む。切ない。

ef夫に話すと「エフぅーーーー」ともっと切なそうでした。


治療環境が変わり調子も少しづつ上向きでいつものef夫らしい表情になってきました。少しホッとしています。もう10日も寝たままでお風呂にも入れず空も見れず先も見えずで、時々気が滅入ったりもしていますが、いつになく慎重にゆっくりと(怖々と)自分の体と向き合っています。キミはたくさんの人に想われ守られているから大丈夫だよ。
そしてそろそろ私が調子を崩す頃だろうとたくさんご心配いただきました。今のところダイジョブです。ありがとうございます。


6月26日〜7月2日の記録。(とても長いです。)26日(金)午前、K病院にて2度目の仙骨裂孔ブロックを受ける。一週間前に1度目を受けた後は少しづつだが日ごと症状は改善。この日も注射後はそのまま会社へ行き普通に仕事をする。21:00 会社にて腰に違和感を覚えすぐに横にな ... 続きを読む
6月26日〜7月2日の記録。(とても長いです。)

26日(金)午前、K病院にて2度目の仙骨裂孔ブロックを受ける。一週間前に1度目を受けた後は少しづつだが日ごと症状は改善。この日も注射後はそのまま会社へ行き普通に仕事をする。
21:00 会社にて腰に違和感を覚えすぐに横になるが左腰〜左脚に激痛が襲って来る。スネから血が噴き出しているのではと思ったそう。迎えにいった車になんとか乗り呻きながら帰宅、すぐに横臥、引き攣るような裂けるような痛みに「うあーーっ」と何度も声をあげるほど。座薬を入れ15分程経つと少し痛みが減る。が、また一時間後には激痛が戻る。朝まで痛みで眠れず。

27日(土)8:00 自力で起き上がり必死でトイレに行くもその後は更に激しい痛み。座薬も効かず。寝ていても痛くて常に唸る状態。ヘルニアの痛みには慣れたef夫だが「この痛み方はちょっとおかしい」と苦痛に歪んだ顔で訴える。
10:00 かかりつけのK病院にtel、症状を話し、救急車で搬送することに。119にtelして5分後に到着、私は外に出て手を大きくあげて迎える。必死。

2階からef夫を寝たまま下ろすためには駆けつけた救急隊員4人では足りず、すぐに応援を要請、今度は消防車がやってきて隊員3名が加わる。狭く曲がった階段を上手に運んでくれる。

たくさんの隊員たちに興奮するエフをなだめ抑えながら深呼吸して見守る。

10分後病院に到着するも土曜午前の外来は大変な混雑で救急処置室でしばらく待たされる。この時間が長い。痛みは凄まじいようでずっと悲鳴を我慢したような唸り声をあげている。医師がやってきて診察、痛み止めの筋肉注射を処置。すぐに痛みが遠のき朦朧とする。が、1時間半後、また痛みだす。寝たままでも痛くてどうしようもない。→緊急入院となる。

ストレッチャーで病室まで運ばれベッドの上に一回転して移る。(大変)
しばらく横になっていると、ベッドのマットがエアマット(何故にエアマット?)だったため体(腰)が沈みどうにも痛みが増してくる。エアマットをはずしてせんべい布団にしてくれと要請。看護師がたくさんやって来てエアマットをはずし普通の固いマットに。

痛みは少しましになる。でも同じ寝方でじっとしていることができない。右向き、左向き、背中にクッションを当てたり脚の下にクッションを入れたり、何度も何度も痛くて体勢を変える。
16:00 おしりから注射、筋肉の緊張を和らげる作用のものらしい、即効性はないが続けて打つと改善するとか言ってたような。
しかしその後も痛い。
18:00 夕食が運ばれてくる。寝たままおにぎり一個弱、鶏肉少し、ブロッコリ少し、缶詰のモモ少し、「まずい」と言いながら必死で食べる。食後の薬を服用するため。
薬:ロキソニンムコスタオパルモンメチコバール
薬を飲んでも全く痛みは軽減されず、夜中痛い、一度座薬を入れるが効かない。
痛みと疲れで朦朧としながら朝。

28日(日)7:00 あまりにも激痛が続くので医師に相談したいと看護師に告げる。
若い当直医がやってくる。経過と症状を伝えるもヘルニア治療の教科書通りのことしか言わない。断続的な激痛になんの処置もないことに耐えきれず「治療方針を再考してほしい」「できれば手術してほしい」「ここでできないのなら前回手術した東京医療センターに移りたい」とef夫訴える。しかし、移ったとしても恐らく同じ処置だ、担当医の許可なく転院はできないと。痛み止めを増やして痛みを抑えることをまずはやりましょうと。痛みで身動きできず従うしかない。。。
8:30 腕から筋肉注射(感覚神経を麻痺させる麻薬系)、痛みが和らぐのと一緒に眠気もやってくる。うつらうつらするが2時間程で痛みで起きる。体勢によっては痛みが軽減してしばらくそのままでいられたりすることもある。横向きで背中にクッションが良いことが多い。
12:00 昼食のため体を仰向けにしたらまた激痛が走る。少し動いた拍子にピーンと痛みが走ることがよくある。ただ昨日のような途切れなくのたうちまわるような痛さが減ってきたようにも思える。
おにぎり一個弱、いんげん3切れ、魚の天ぷらみたいなの一口
薬を飲み、横向きで1時間程眠る。時々痛みが走るようで顔をしかめることしばしば。
それにしてもここの看護師たちは何故何かを頼むときょとんとする?何故面倒くさそうにする?何故患者の容態を把握しようとしない?何故勤務交代のとき引き継ぎをしない?
「最悪だ」とef夫。ナースには何も頼まなくなる。
15:00 おしりから打つ注射(筋肉の緊張を和らげる作用のあるもの)はどうするかと聞かれる。昨日はそれをやってからさらに痛くなったため見合わせる。尿瓶で小をするため少し動いたらまた激痛。目をぎゅっと瞑ってじっと耐える。
ちょっと寝返りを打つたびにピキンと痛む。かといってずっと同じ姿勢でいても痛い。どうすればいいのかわからない。
「もうつかれた…」と絶望的につぶやくef夫。
18:00 耐えきれず私がナースコール、座薬を入れてもらう。
18:30 全く効かない。痛くて唸りっぱなし。顔をしかめてきつそう。痛くて寝ていられない、でも起きたくても起きられない。どうにもならない。とにかくこのままではef夫の気が変になってしまうのではと本気で心配するほど絶え間なく痛がる。あんなに我慢強いひとが涙を浮かべて痛がっている姿を初めて見た。なにもしてあげられない。つらい。
19:00 ナースステーションに駆け込み、昨日効いた腕からの筋肉注射をお願いする。が、座薬を入れたばかりなのでもう少し時間をおかないとダメだと言われる。もう少しとはどのくらいかと聞くと、あと2-3時間かな〜だと。そんなの無理だ。気が変になっちゃう。もう限界だよ、耐えられないよ。
19:30 もう一度ナースステーションに走り、なんとか痛みをとる処置をしてもらえないか頼む。しばらくしてチーフリーダーという名札をつけた人が病室にやってきて判断。これを今使ったら朝までもう使えないので今度痛くなっても我慢してくださいよ、と冷たく念を押すように言われる。もうどうでもいい。

20:00 腕に注射。15分程で眠る。その後何度か眠りながら眉間にシワをよせていたものの、朝まで眠れた。


この日は消灯後の暗闇の中ずっと付き添っていたのだけれど
どうにも心細くて涙がポロポロ出た。


29日(月)5:30 目が覚める。痛みだす。ただ昨日よりはまし。
7:30 朝食 1/3位食べる
食後はまたうつらうつらする。時折痛みに顔をしかめるが昨日よりましか?
座ってみたいと言ってベッドの上でゆっくり起き上がる。私の肩につかまり立ってみようと一瞬立つが、すぐさま膝下のずきんずきんする痛みがやってきて再び寝る。
横になってしばらくするとずきんずきんはおさまる。
9:00 担当医が診察にくる。金曜からの経過と症状を話す。ef夫は「手術をしてほしい」と。
2週間前にMRIを撮ったときと状況が違うようだ、手術をするにしても三度目になるのでリスクも高まる、より精密な検査が必要、脊椎の専門医に診てもらった方がいいと担当医。東京医療センターへ転院することになる。
本人が動けないのでMRIの画像と紹介状を持ち私が医療センター整形外科を受診、先生に症状を一生懸命説明する。画像では3-4のヘルニアが認められるがそれほど大きいものではない、おそらく変化しているのだろう、とにかく本人を診察して再度検査をする必要があると。ベッド満床のため空き次第転院することに。
15:30 K病院に戻る。転院を告げると少しホッとする。早くベッドが空いてほしい。
寝ている分には痛みは中程度になってきたが依然として上体を起こすとすぐさま膝下が破裂するような強烈な痛みに襲われる。寝ているしかない。
上体が起こせないととにかく不便なのはトイレ。小は尿瓶を使っていたが、大はずっと我慢していた。そろそろ出さねばいけない頃。ベッド上で寝たまま用の便器を腰を少し浮かせてあてるか、または、おむつか。どちらもどうしてもイヤなef夫は病室すぐ隣のトイレに行くと。距離は3-4メートルほど。私の肩につかまりゆっくりゆっくり歩いて行く。トイレ前で待っていると痛みがだんだん強くなってきたようで声にならない声をあげ耐えている。それでも根性でトイレ終了(こんなときでもウォシュレットでしっかりおしりを洗わないと気が済まないef夫。この非常事態にそんなものテキトーでいいのに。)脂汗いっぱいで部屋に戻り横になる。その後はしばらく激痛にのたうちまわるが、30分程でおさまってくる。
入院してからずっと全く起き上がれなかったことに比べるとほんの少しだけ進歩か。

30日(火)6:00 目が覚めてから2時間位は特に調子が悪い。しかしもう座薬も注射も使っていない。日頃から薬は飲まないタイプのひと。痛み止めでごまかしたくないというひと。
火・水と症状はあまり変わらず。

7月1日(水)9:20 医療センターからベッドが空いたと連絡。明日入院できることに。よし。

7月2日(木)10:00 手配した介護タクシーに乗り移送。
初めて利用した介護タクシー。ベッドからベッドへ丁寧に寝たまま運んでくれた。
この日は大雨。私はたくさんの荷物を運びずぶ濡れになった。
医療センターまでは10分程度。無事病室に入り入院手続きをすませ少しほっとする。

リモコンでベッドの角度が変えられるのが夢のよう。
脚を上げほんの少しだけ頭を上げて、視界が違うと喜ぶef夫。
マットもムアツで快適。PCも使える。
担当医が来る。痛みの部位を細かくチェック。来週火曜にMRIを撮り水曜に脊髄造影検査、神経根ブロックで精密に原因箇所を確認しましょうと。手術をするか否かは検査の結果次第だと。「早くケリをつけたい」とef夫。来週まで寝たままでいなければいけないことにがっくりする。しかしとにかく今は安静にしているしかないのよ。

4日ぶりにPCを開き寝たまま猛然と仕事を始める。といっても少しやって休むを繰り返しながら。
痛みは低め安定。ただし起き上がるとしばらくして激痛がやってくる。ベッドに座って2分が限界。
2分でも大変な進歩です。



エフは土曜にたくさんの男の人がやってきてef夫を担いであっと言う間に連れ去ってしまった一部始終を見ていて、更に長い留守番が続き、早速下痢P(膜はり軟便)になってしまった。。。


入院用の荷物をたくさん持って出掛けるときの玄関。
心配だよね、エフ。


でも月曜から義母が駆けつけてくれて
笑顔が復活しました。
ハンカチ銜えて見せびらかしたりワザと怒られるようなことしています。
寂しいのだよね、えっぷー。


ef夫も寂しがっているよ。
K病院のベッドのサイドレールの
←この部分がエフの鼻先みたいだと言って、痛みに耐えながら「エフーー…」と何度も見つめていました。

というわけで入院生活です。前回と違って先の見通しが明確でなくて不安もありますが、もはやじっくりと検査・治療に専念するしかありません。少し長引きそうですが、根治治癒を目指して頑張ります。