父が「お母さんの餃子はうまかったなぁ」と言ったので、
張り切って餃子を作って一緒に食べたことがありました。
…が、我ながらイマイチでした。


母は料理が上手でした。手際よく品数多く彩り良くいつも美味しい食卓でした。
それなのに、ほとんど料理を教わることなく死んでしまいました。


昔から実家は人が多く集まる場所で、そのたび大人数の食事を母が用意していましたが、今思い出しても本当にすごいなあと思います。

あの手際のよさ、どうやっていたんだろう。色んな料理をいつの間にか作って、ニコニコと会話しながら全体に気を配って。美味しいつまみに囲まれていつも父はみんなの中心で機嫌よく飲んでいました。私はほとんど手伝いもせずパクパク食べてばかりでした。

今は実家に帰ると私が食事の用意をしますが、バタバタしちゃって全然ダメです。(写真は昨年夏の実家、叔母たちが色々持ち寄ってくれました。)




母の具合が悪くなってから、食事を作るのが私の毎日の大きな任務になりました。

食欲が落ち、薬の副作用で味覚が敏感になった母が美味しく食べられる栄養バランスのいい食事を作ることはそれほど簡単ではありませんでした。
匂い・塩分・油分・化学調味料などあらゆるものに敏感になり、少しでも気になることがあると全く食べられません。一口食べただけで戻してしまうことも多くありました。
食べなければ体力が落ちる、でも食べられない、でも元気になりたいから食べたい、食べてほしい、、、、、本当に食事は毎日のビッグイベントでした。

それまで仕事ばかりで気ままな1人暮らしだった私が作る料理なんてまるで冴えなくて、実家の台所でひとり試行錯誤の毎日でした。
娘の作る料理を一生懸命食べようとしてくれた母が、気を遣わずに美味しいと言ってくれて食事の時間がちょっとでも楽しみになるようなごはんを作りたくて、必死でした。
今日の体調はどうだろう、何が食べたいかな、体は何を欲しているだろう…母の体の声に一生懸命耳を澄まし献立を考え丁寧に作っていました。全部美味しく食べられて調子がいいなんて聞くと、もう本当に、涙が出るほど嬉しかったです。


今思えば、直接料理を教わることはほとんどなかったけれど、結局は母からあの一年半で教えてもらったような気がします。


でもやっぱり母の味を再現することはなかなかできません。
煮物も酢の物も唐揚げも何かが違う。何かが足りない。
父の大好きなおはぎも、私には作れないので買ってきました。
毎年私がテレビ見ている間に作っていたおせち料理も
どうやって作っていたのかさっぱりわかりません。


今夜の餃子もちょっと違う。

ああ、中身、もっとちゃんと聞いとけばよかったなぁ。